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デッサン力

01 08, 2010 | Posted in お絵描き・その他

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etc_kyoshitu02.jpg
木製のパズルを描いた鉛筆デッサンです。
黒い輪っかを外しましょうっていうものです。
まぁそれはいいとして、タイトルについて。

デッサン力(りょく)って言葉、ご存知でしょうか?

鉛筆やら木炭やらで上手に絵が描ける力、ではありません。
デッサン力を養えば、どんな絵でも描けるようになります。
まぁミソなのは「描ける」ではなく「描けるようになる」というところですが。

結論から言ってしまいますと、デッサン力とは、「物を観る力」です。

観察眼を養うことが、デッサンの目的と言っても、過言ではないというわけです。
鉛筆画が得意とか水彩は苦手とか、そういうのは単に、道具に熟練しているかどうかという話で、観えなければ、そもそも描けません。
そして逆に、観えていれば、何度失敗しようとも、そのうち描けるのです。

高いデッサン力を身につけた人は、何も描いていない真っ白な画面に、描き上がった絵が見えるようになります。
モチーフ(描く対象物)の写真をべったり貼り付けたみたいなものが見えてるだけ、というのとは全然違います。
そもそも3次元のものを平面に描こうとする時点で、見たままとは違う操作を余儀なくされるわけですし。

また、完成画だけでなく、そこに至るまでの描き手順も見えます。
しかしまぁ、本当に極めてしまっている人には不要なことですが。

ピカソは言ったそうです。
絵なんて、頭に見えるままをそのままなぞって、画面を端から塗りつぶしていけば描けるものだと。
真偽のほどは定かではありませんが、とんでもないことですね。
僕などでは遠く及びません、、

デッサン力が高まっていくと、眼からウロコが落ちた感じというか、物が観えるとはこういうことかと改めて知る機会があるかと思います。
その瞬間は、結構感動的ですよ。

絵画を学ばれている方々には、ぜひ「物を観る力を養う」ことを念頭に、描かれますようお勧めします。

 

お絵描き教室

01 06, 2010 | Posted in お絵描き・その他

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etc_kyoshitu01.jpg
こちら、レーズンパンの鉛筆デッサンです。
実は僕、自宅にてお絵描き教室を開いておりまして、そちらの参考作品として描いたものです。
教室なんて言っても、趣味のサークルみたいなもので、月一くらい、みんなの都合のあう日に適当にやっております。
もちろん無料で。
鉛筆デッサンしか教えてませんしね~。
頑張り屋さんに集まってもらって、やる気を分けていただいてます。
歳とってくると、モチベーション上げるのに一苦労なんですよねぇ、、
(;´Д`A ```

教室での作品やその批評、講義、僕なりの芸術論など、今後もちょこちょこご紹介していけたらと思います。

しかしこの絵、、
たかだかレーズンパンに空気遠近なんか使って、ちょっと気持ち悪い作品になってしまいましたね。
_| ̄|○⇒_|\○_⇒_/\○_⇒___○_

 

切り絵「キリスト生誕」

12 21, 2009 | Posted in お絵描き・その他

2 Comments
christmas99.gif

゚+.゚ Merry Christmas * : ・ 迴&--爿爿爿爿    龠゚゚ ゚

少々早いですが、メリークリスマス♪ヾ(o´д`)八(´д`o)ツ♪
こちらは、タイトルの通り切り絵です。
99年のクリスマス用につくったものです。
産まれたばかりのキリスト・イエスを抱く母・マリアの図です。
絵的な意味で割愛されてしまった父・ヨセフには大変申し訳ありませんが、父親とはそんなものです、、他ならぬ僕も、、ヽ(´Д`;)ノアゥア...
切り絵シリーズは、他にもいくつかつくっております。
おいおいUPしていきますね。
 

「表(おもて)」 1997.1 卒業制作

12 12, 2009 | Posted in お絵描き・その他

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obje97-001.jpg

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obje97-001c.jpg

題名 : 表(おもて)
サイズ : H1940.W650.D200
制作期間 : 1997.Jan.10-30
素材 : 石膏、ガラス、低融点合金 etc.

 表とは、表面的や上っ面といったような、着飾る自分、つくられた自分を意味している。
全体を覆っている石膏の白さは、その偽りの姿・偽善を顕し、僕自身を象った肖像は、そのつくられた自分に埋もれ、己を見失おうとしている。

前面にあるガラスは、他者と自分との壁であり、壁を通してでしか人と接することができない、自分を見せられないでいるのである。
しかし、その壁は文字どおりガラスのようにもろいものであり、破壊すべきものである。
にもかかわらず、己を知られてしまうことの恐れ、傷つけられてしまうことを恐れてその檻ともいうべき壁の内側に、甘んじて閉じこもっているのである。

ガラスの半面を覆う鏡の部分は、以上のような意味合いをより強調するためのものである。
鏡は本来、人の姿を写し出すためにつくられたものであるが、その属性ゆえに、より神秘的な存在感を付加されてきた。
鏡に写る自分が他人であるかのように、自身の表面的以上のもの、心の内側まで見透かされ写し出されているかのように。

 そして、この作品を観ている者を写し出すのである。





「油画科のくせに」

僕はお世辞にもよい生徒とは言えない子でしたので、教授の皆様には散々に言われたものでした。
まぁ若気の至りといいますか、色々やってみたいものなのですよ。
平面ばかりやってると、立体の魅力にあこがれるものなのです。
といいつつ、実は油画やり続けるほどのお金がなくて、廃材利用の半立体ばかりやっていたというのは内緒です。
油画って、お金かかるんですよ、、
ぅぅ━il||li(っω`-。)il||li━っ…

まぁ動機はともかく、この手のものばかりを作り続けて、この作品はその集大成。
新聞紙をぐちゃぐちゃと折り込んで、「情報化社会の混沌に埋もれるの図」とかやってました。
当時の僕の、若さとか迷いとか疑問とか、まぁ色んな溢れる思いが感じられますね~。
クオリティはもう一歩って感じですが、まぁまぁ面白い作品に仕上がっているのではないでしょうか。





 

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